永井豪

「デビルマン」の原作者で漫画家、永井豪

永井豪(ながいごう)は、「デビルマン」の原作者の漫画家です。石ノ森章太郎のアシスタントを経て、1967年「目明しポリ吉」でデビューしました。代表作には「ハレンチ学園」「あばしり一家」「デビルマン」「マジンガーZ」「キューティハニー」などです。少年漫画の世界に性やバイオレンスの表現を大胆に取り入れ、後続の漫画家に大きな影響を与えました。また1972年の「デビルマン」以降、多数のテレビアニメ作品に共同企画者・原作者として関わっています。数々の賞を受賞しているほか、多くの作品が映像化されている人気作家であり、現存する四大週刊少年誌および、休刊した週刊少年誌3誌全てに連載経験を持つ数少ない漫画家でもあります。

経歴

1945年9月6日生まれ。石川県輪島市出身。本名、永井潔(ながいきよし)。1952年に東京都豊島区に引越しました。豊島区立大塚台小学校から、豊島区立西巣鴨中学校を経て、東京都立板橋高等学校を卒業しました。幼少期に手塚治虫の「ロストワールド」を読んだことをきっかけに漫画家を志すようになりました。高校卒業後、早稲田大学を目指して予備校に通っていましたが、3週間止まらない下痢に悩まされて大腸癌だと思い込み、自分がこの世に生きていた証しとして漫画作品を残そうと決意します。のちに大腸カタルに過ぎなかったと分かり、難なく完治しますが、このときの決意をきっかけに3ヶ月の浪人生活に終止符を打ち、1965年から他の作家のアシスタントになることを目指します。初めは手塚治虫のアシスタントになろうと手塚プロダクションに出向きますが、手塚とは連絡が取れず、代わりに紹介された石ノ森章太郎の下で働くこととなりました、石ノ森が持っていたSFテイストやキャラクターメイキングの方法論は非常に永井に近いものだったようで、石ノ森も自分が世に出た時期が早いだけで「同じ感性の中でものを探している」と彼を評しています。永井自身はストーリー漫画志望だったのですが、デビューの早道として比較的ページ数の少ないギャグ作品に挑み、アシスタント業の傍ら持ち込みを続けていました。1967年、テレビアニメ「ちびっこ怪獣ヤダモン」の漫画化企画を担当することになり、この卯で鳴らしとしてギャグ短編「目明しポリ吉」が月間漫画誌「ぼくら」に掲載され、デビューとなりました。続いて「ちびっこ怪獣ヤダモン」の連載とともにギャグマンガをコンスタントに描いていきます。この頃、永井の才能を高く評価していた秋田書店の名物編集者で、当時「冒険王」の編集長を務めていた壁村耐三は、赤塚不二夫に永井を紹介させています。しかし、それまでのギャグ・コメディにはないエログロ作品を見た赤塚は永井の作品を酷評します。この赤塚にダメ出しをされた経験で「赤塚先生が描かないようなものを突き詰めて描けばよい」と、永井はスラップスティック、エロ・グロ・ナンセンスを多分に盛り込んだギャグ・コメディ作品を描き続けることを決めました。その後、壁村は永井に働きかけ、「まんが王」にて初のオリジナル連載である「馬子っこきん太」を掲載します。この時に壁村がアシスタントとして紹介した青年が後に永井の右腕となる蛭田充でした。

少年ジャンプとPTA

デビューの翌年、新創刊された「少年ジャンプ」に「ハレンチ学園」を発表します。奇妙な扮装に身を包んだ教師たちとイタズラを愛する生徒たちの破天荒な日常を描いたこの作品は、本宮ひろ志作品と両輪で同誌を牽引しました。この中で当時の小学生を中心とした流行風俗「スカートめくり」を扱った「モーレツごっこの巻」が、サブカルチャー一般に対し行われていたPTAの抗議活動に取り上げられ、子供に悪影響を及ぼすセクシャルな作品の代表格として糾弾の対象となりました。新聞紙上・テレビのワイドショーなどで名指しつつ、時に永井自身を目の前にして、本人曰く「人格否定まで」されるほどの糾弾活動だったのだそうです。しかし、これが結果的に永井が時代を掴むきっかけとなります。「ハレンチ学園」で登場人物全てが戦争で殺し合う描写に始まり、「あばしり一家」、「ガクエン退屈男」などこの時期の発表作品の中で、この糾弾活動そのものをメタフィクション的にパロディ化し、権力が奮う「正義」とは自由に生きる個人を押しつぶすものとした上で、権力側も抵抗する個人の側も互いに奮うのは暴力だけという、永井作品の根幹を成す地獄絵図を描き出しています。さらにこの時期、シリアスなストーリー作品も手掛け始め、差別とそれに対する復讐を描く「鬼-2889年の反乱-」、アイデンティティ崩壊の危機を描く「くずれる」、親と子の絆が崩壊する「ススムちゃん大ショック」など、いずれも人間自身の存在意義を問い直すようなSFを発表しました。一方で、常識を反転させて笑いに結ぶ永井ギャグ漫画としては最も先鋭化したものの一つ「オモライくん」なども描いています。それとともにSF作家の間で注目され、1970年のSF大会で筒井康隆を初代会長に永井豪ファンクラブが設立されています。

永井豪の作風

永井は一般に「手塚以後」と言われる戦後期に、新聞漫画、書店・貸本店作品といった様々な形態の漫画作品を読者として経験した上で送り手となった最初の世代の漫画家です。例えば自身も影響を受けたと語るように、手塚的なディズニーの影響下にある文法とともに、白土三平的な筋肉を持ち血の出るリアリティを持った形式も等価に受け取っています。永井のデビュー当時にあった他の漫画文法と比較すると、永井のタッチはリアルとギャグ両方の要素を持った独特のデフォルメが特徴的です。また、貸本・赤本時代の、単行本をまとめて「読ませる」タイプの作家とは異なり、主に週刊連載という形式で「引っ張る」作風をメインとしています。コマ割りが大きく1ページ内のコマ数が少なく、コマ枠も登場人物も線が太い絵になっています。時にはセリフや擬音ばかりか、登場人物までもがコマからはみ出します。1コマが見開き2ページにも及ぶこともあります。ストーリー展開は早く、セリフも分かりやすく明快、メカや背景もリアルに描かれていますが、それでいて劇画ではありません。こういった手法は、永井が一般的にしたといっても過言ではないでしょう。このような作風に高橋留美子は大いに影響を受けたと後に述べています。また、永井はギャグ漫画から始めたせいか、シビアなストーリーの途中に、ユニークなキャラクター性を持った登場人物の行動や発言など、主人公すら巻き込んでしまうギャグのシーンを入れてしまうということを、初めて完成された形で持ち込みました。

永井豪

永井豪の名作!「デビルマン」!